エリアス・フィソアナ・ラマエマ(Elias Phisoana Ramaema、1933年11月10日 - )は、レソトの政治家、軍人。1991年5月2日から1993年4月2日まで、同国の政府の長(首相)に相当する軍事評議会議長を務めた。ラマエマは1987年にジャスティン・レハンヤ少将がクーデターを起こすと、軍事評議会の一員となり大佐となった。しかしレハンヤ政権は独裁の傾向を強めたため、1991年4月30日、ラマエマは無血クーデターを起こしてレハンヤを失脚させ、自らが政権を握った。ラマエマは政権を握ると明確に民主化の方針を打ち出し、政党活動を自由化し、また国......
エリアス・フィソアナ・ラマエマ(Elias Phisoana Ramaema、1933年11月10日 - )は、レソトの政治家、軍人。1991年5月2日から1993年4月2日まで、同国の政府の長(首相)に相当する軍事評議会議長を務めた。ラマエマは1987年にジャスティン・レハンヤ少将がクーデターを起こすと、軍事評議会の一員となり大佐となった。しかしレハンヤ政権は独裁の傾向を強めた......