エミール・ヴォードルメールの画像画像引用元: blogimg.goo.ne.jp

エミール・ヴォードルメール

推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ジョセフ・オーギュスト・エミール・ヴォードルメール(Joseph-Auguste-Emile Vaudremer、1829年2月6日 - 1914年2月7日)は、穏当な実利主義のフランス人建築家。エコール・デ・ボザールにおいて合理主義の潮流を形作った人物。ボザールに学び、プルーエ・アトリエに所属。ブルーエとジルベールのもとで修練をうけた後、1854年、ローマ大賞に挑戦し、アカデミー建築部会での審査では全員一致で大賞に選出されたが、全体投票で次席となる。そのため、自費でローマに赴き、古典建築について造詣を養う。帰国後は古典的な配置論にもとつぎながらロマネスクやビサンチンのモチーフを多用、19世紀後半の中世回帰の思想をみずから体現、これらから中世の理想をみいだし、建築形態に配置上と構成上の合理性を追求するがパリのオートゥイユ通りのノートルダム教会(1876年)ロマネスクでもあるが、内部にはずっと壮大な石のヴォールトを用いている。大規模で有名なモンパルナスのサクレ・クール寺院(1812年-1884年)はポール・アバディの手になり1876年に着工された。これはペリグーのサン・フロン教会に示唆をうけており、サン・フロンはアバディが悪意的に修復した教会として知られる。1860年から1880年にかけては、アトリエ・パトロンをつとめる。実作はブルーエとジルベールから学んだ精神にもとづき、パリの大規模なサンテ監獄(1865年等)を最初に手がけた。しかし、1864年パリのモンルージュのサン・ピエール教会設計を指名されて、ここではまさに彼の穏当で率直な性格から、ゴシック様式よりはむしろロマネスクを選び、この建築はH.H.Iリチャードソンなどに多大な影響を与えたという。

過去の推移