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ウラジーミル・マルティノフ

推定知名度0.31%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ウラジーミル・マルティノフ(Vladimir Martynov, Владимир Мартынов, 1946年2月20日 - )は、ロシアの作曲家。モスクワ生まれ。協奏曲、管弦楽曲、室内楽曲、声楽曲などで知られる。ウラジミール・マルティノフ、マルトゥイノフとも表記する。マルティノフは、ソビエト連邦の第二次世界大戦後世代作曲家のリーダー的存在である。アヴァンギャルドなスタイルが白眼視され、身の危険とまではいかないものの、今後の活動に不利益を生じかねない当時のソビエトにあって、その運動を推進した。少年時代、ピアノを学びながら、作曲への興味を募らせる。モスクワ音楽院に入学し、メズルモフにピアノを、ニコライ・シデリニコフに作曲を教わる。1971年、卒業。初期の作品はセリエル音楽の技法(もしくは十二音技法)で書かれている。『弦楽四重奏曲』(1966年)、『オーボエとフルートのための協奏曲』(1968年)、ピアノのための『Hexagramme(六十四卦)』(1971年)、『ヴァイオリン・ソナタ』(1973年)などがそうである。1973年、スクリャービン博物館の電子音楽スタジオの職を得る。ミラノのRIA電子音楽スタジオ、西ドイツ放送WDRの電子音楽スタジオ、パリのORTFスタジオと同じ目的で作られたスタジオで、ソビエトのアヴァンギャルドな作曲者たちの集う場となった。その中には、ソフィア・グバイドゥーリナ、セルゲイ・ネムティン、アルフレート・シュニトケ、エディソン・デニーソフらがいた。マルティノフは、そこで「ブーメラン」というロック・バンドの結成を手伝うことになり、『Seraphic Visions from St. Francis of Assisi(アッシジのフランチェスコから 熾天使の幻視)』(1978年)というロック・オペラを作曲した。彼は真面目な民族音楽学者でもあり、カフカース諸国、タジキスタンなどのロシアの民族国家の音楽を研究した。さらに、中世ロシア、西洋音楽、宗教音楽の歴史や音楽学についても学んだ。学問としてなら許されていて、彼はさらに神学、哲学、宗教史を研究したが、それは自分の宗教的感情を表現する手段としたいからだった。1970年後半からは、古いロシア正教会聖歌の勉強もはじめた。さらに、ギヨーム・ド・マショー、アンドレーア・ガブリエーリ、ハインリヒ・イザーク、ギヨーム・デュファイ、ジョン・ダンスタブルといった

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