ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチの画像画像引用元: cdn-ak.f.st-hatena.com

ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチ

推定知名度0.03%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチ(スヴャトポルチチ)(Владимир Святополкович(Святополчич)、生没年不明)は13世紀初めのピンスク公である(1207年 - 1228年以前)。スヴャトポルク・ユーリエヴィチの子。A.プレスニャコフ(ru)の説によれば、13世紀初めのトゥーロフ・ピンスク公国はスヴャトポルク・ユーリエヴィチの子らが所領としており、おそらく、その筆頭はピンスクのウラジーミルであったとされている。また、この時期のトゥーロフ・ピンスク公国の中心地は、かつての中心地であったトゥーロフからピンスクに移動していたと考えられている。1207年、ウラジーミルらスヴャトポルクの子達は、チェルニゴフ公フセヴォロド(ru)と同盟を結び、キエフ大公リューリクと戦った。1228年には、ピンスク公として、ウラジーミルの兄弟のロスチスラフの名が記されているため、ウラジーミルのピンスク公在位期間は1228年以前までということになる。妻の名は不明。子と推定される人物として、ウラジーミルとミハイルが挙げられている。

過去の推移