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アンリ2世

推定知名度0.36%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アンリ2世・ド・ギーズ(Henri II de Guise, 1614年4月4日 - 1664年6月2日)は、第5代ギーズ公。ギーズ公シャルル1世 (ギーズ公)|シャルル1世と妃でジョワイユーズ女公アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ|アンリエットの次男として、パリで生まれた。ギーズ女公マリー (ギーズ女公)|マリー、ジョワイユーズ公ルイ (ジョワイユーズ公)|ルイの兄。1629年、15歳でランス (マルヌ県)|ランス大司教となったが、1639年に兄フランソワが急死したため世子となった。1640年、イタリアで父が客死した後公位についた。彼はリシュリューに対抗し、ソワソン伯ルイ・ド・ブルボン (ソワソン伯)|ルイ・ド・ブルボンと陰謀を企み、1641年にラ・マルフェで戦った。このため彼は死刑を宣告され、フランドルへ逃亡した。1643年に死刑を赦免されると帰国した。また、一族(ロレーヌ家|ヴォーデモン家)が古くから名乗っていたナポリ王国|ナポリ王位の復活を熱望し、1647年にマサニエッロの叛乱に加わった。この戦いの結果「ナポリ共和王国」の独立宣言がなされ、フランスの後ろ盾をもってギーズ公が支配するとした(ヴェネツィア共和国の元首政をまねたものである)。しかし、機転のきかない彼はすぐにナポリ国民に疎んじられ、ジュール・マザラン|マザランの威光でわずかに振り向かせただけだった。共和国瓦解のあと、1648年にスペイン支持派に捕らえられ、1652年まで釈放されなかった。1654年に再度ナポリへ攻撃をかけるが、ロバート・ブレイク指揮下のイングランド王国|イングランド艦隊により失敗に帰した。以後、アンリ2世はルイ14世 (フランス王)|ルイ14世により家令職を任じられ、パリに住まいを移して1664年に没した。最初の妻は又従妹にあたるアンヌ・ド・ゴンザーグ・ド・クレーヴ|アンヌ・マリー・ド・ゴンザーグで、1639年に駆け落ちで結婚したが、1641年に離婚した。同年にオノリーヌ・ド・グランベルゲと再婚、1643年に離婚した。2度の結婚で子供をもうけなかったため、公位は甥ルイ・ジョゼフ (ギーズ公)|ルイ・ジョゼフが継いだ。Category:ギーズ公Category:ウー伯Category:ギーズ家Category:ランス大司教Category:ナポリ王国Category:ブルボン朝の人物Category:イタリア史の人物Cat

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