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アンリ・ド・ロレーヌ

推定知名度0.3%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アンリ・ド・ロレーヌ(Henri de Lorraine, comte d'Harcourt, 1601年3月20日 - 1666年7月25日)は、フランス王国|フランスの貴族、軍人。アルクール伯爵|伯、アルマニャック伯、ブリオンヌ伯およびマルサン子爵。「真珠将校」を意味するカデ・ラ・ペルル(Cadet la Perle)の異名で呼ばれた。エルブフ公シャルル1世 (エルブフ公)|シャルル1世とその妻のマルグリット・ド・シャボーの間の次男として生まれた。軍人となり、1620年11月の三十年戦争初期のプラハ包囲戦が初陣となった。この戦いでの勇猛さを讃えられ、戦闘中に耳に付けていた真珠のイヤリングに因んで「真珠将校」のあだ名がついた。1620年代にフランスで起きたユグノーの反乱ではプロテスタントを鎮圧すべく、サン=ジャン=ダンジェリ包囲戦やラ・ロシェル包囲戦に従軍した。1633年に聖霊騎士団の騎士に叙任され、1643年には王室厩舎長に任命され、ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方のセネシャル(主膳長)の職も帯びた。フランス・スペイン戦争 (1635年-1659年)|フランス・スペイン戦争(西仏戦争)中の1637年にはイタリアのピエモンテ州|ピエモンテ地方に派遣され、キエーリでの戦闘でスペイン軍を撃破し、1640年のトリノ包囲戦 (1640年)|トリノ包囲戦ではテュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ|テュレンヌ子爵を伴いフランス軍側の司令官を務め、3か月間の包囲の後にトリノを陥落させた。その後もサルデーニャ島やカタルーニャ地方(収穫人戦争が起きていた)で戦い、1645年にはカタルーニャ副王を名乗った。1648年に始まったフロンドの乱では、王母アンヌ・ドートリッシュに対して忠誠を誓い続けたものの、宰相のジュール・マザラン枢機卿とは敵対し、アルザス地域圏|アルザス地方に避難せねばならなかった。

過去の推移