アンリエット・ド・ヌヴェールの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

アンリエット・ド・ヌヴェール

推定知名度0.23%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アンリエット・ド・ヌヴェール(Henriette de Nevers, 1542年10月31日、ラ・シャペル・ダンジヨン - 1601年6月24日、パリ)は、フランス王国|フランスのクレーヴ=ヌヴェール公爵家の女子相続人。ヌヴェール女公(在位:1564年 - 1565年)およびルテル女伯(在位:1564年 - 1581年)。イタリアのマントヴァ公国|マントヴァ公爵家の公子ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルス|ルドヴィーコ(ルイ)と結婚した。アンリエット・ド・クレーヴ(Henriette de Clèves)とも呼ばれる。ヌヴェール公フランソワ1世 (ヌヴェール公)|フランソワ1世とその最初の妻でヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボン (ヴァンドーム公)|シャルルの娘であるマルグリット・ド・ブルボンの間に生まれ、フランス王アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世が洗礼の代父となった。2人の妹、カトリーヌ・ド・クレーヴ|カトリーヌとマリー・ド・クレーヴ (1553-1574)|マリーはそれぞれギーズ公アンリ1世 (ギーズ公)|アンリ1世、コンデ公アンリ1世 (コンデ公)|アンリ1世の妻となった。また、フランス王アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世とは従姉弟同士だった。1564年に弟のジャックが死ぬと、男子相続者のないヌヴェール公爵位およびルテル伯爵位を継承した。1565年3月4日にブルボネー地方のムーランにおいて、マントヴァ公およびモンフェッラート侯国|モンフェッラート侯フェデリーコ2世・ゴンザーガ|フェデリーコ2世の息子で、又従兄にあたるルドヴィーコと結婚した。ルドヴィーコはパリ宮廷の一員であり、結婚に際してヌヴェール公爵位を引き継ぎ、また新たにルテル公爵位を授けられている。アンリエットはアンジュー公フランソワ (アンジュー公)|フランソワの寵臣アンニバル・ド・ココーナ伯爵(Annibal de Coconas)と愛人関係になり、1574年にココーナがアンジュー公を王位に就けるための陰謀(Conjuration des Malcontents)に参加して斬首された際には、陰謀に関わっていたナバラ王国|ナバラ王妃マルグリット・ド・ヴァロワ|マルグリットとともに陰謀参加者たちの首をさらし台から盗み出し、教会の墓地に埋めたと言われている。1601年にパリのオテル・ド・ヌヴェールで死去した。

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