アレクサンドラ・ニコラエヴナの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

アレクサンドラ・ニコラエヴナ

推定知名度0.79%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アレクサンドラ・ニコラエヴナ (,1825年6月24日 - 1844年8月10日)は、ロシア大公女・大公妃一覧|ロシア大公女。ヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル(フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)|フリードリヒ2世の曾孫。デンマーク王妃ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセルの弟)の妃。ロシア皇帝ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世と皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)|アレクサンドラの三女(第4子)として、サンクトペテルブルクで生まれた。家族からはアディニ(Adini)と呼ばれ、父に一番可愛がられた(他の兄弟はドイツ人の母親似で、彼女は父親似と言われていた)。姉のオリガ・ニコラエヴナ (ヴュルテンベルク王妃)|オリガによれば、利発で可愛らしい少女で、宮廷でも目立っていたという。姉オリガ・ニコラエヴナ (ヴュルテンベルク王妃)|オリガの花婿候補としてサンクトペテルブルグを訪れたフリードリヒと出会い、1844年1月28日、結婚。しかし結婚後すぐに肺病にかかり、妊娠もしていたため、サンクトペテルブルクからヘッセンへ行くことができなくなった。アレクサンドラは、同年8月にヴィルヘルムと名付けられた男児(夭折)を生むが、回復することなく没した。両親は、亡くなるまでアレクサンドラの若死を憂い続けた。アレクサンドラは赤子を抱いたまま一つの棺に納められ、埋葬された。フリードリヒ・ヴィルヘルムは、10年後に2度目の妃マリア・アンナ・フォン・プロイセン(皇后アレクサンドラ・フョードロヴナの姪)と再婚。6子をもうけ、本流の絶えたヘッセン=カッセル家家長となった。

過去の推移