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アルフォンソ3世

推定知名度0.65%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アルフォンソ3世(Alfonso III de Asturias, 848年頃 - 910年12月20日)は、アストゥリアス王国|アストゥリアスアストゥリアス王の一覧|王。大王(el Magno)とおくり名された。オルドーニョ1世と妃ムニアの子として生まれた。彼は貴族の反乱や、同じ一族の者の反乱(ベルムード公の反乱)といった一連の内乱に見舞われた。彼は強力な再植民政策を推し進め、王国の南端で自然の国境となっていたドゥエロ川流域(ドゥエロの砂漠と呼ばれた。サモーラ (スペイン)|サモーラ、トーロ (スペイン)|トーロ周辺)に主としてモサラベを送り込んだ。イスラム軍に対しても勢いよく戦い、ポルボラリアで打ち負かした。ヒメナ・ガルセス(素性不明であるが、一部でパンプローナ王国|パンプローナ王家出身だと推測されている)との間に、5子をもうけた。彼の治世の最晩年は不明なことが多い。理由はわかっていないが、長子のガルシアは弟たちと協力して父アルフォンソ3世を倒して王位についている。事実上アルフォンソ3世は廃位されたが王としての地位を保持したまま、サモラで没した。

過去の推移