画像引用元: d1vxqp80z7pm7t.cloudfront.netアステュオコス
アステュオコス(希:Αστύοχος 、ラテン文字転記:Astyochos、紀元前5世紀、生没年不明)はペロポネソス戦争期のスパルタの提督(ナウアルコス)である。アステュオコスはケンクレイアイで前任者のメランクリダスから引き継いで紀元前412年にスパルタの提督(任期は秋に始まり秋に終わる一年)、即ちペロポネソス同盟連合艦隊の総司令官に任命された。そしてアステュオコスは4隻の船団を率いて同盟国のキオスへと向かった。アテナイ艦隊25隻がキオス島の北のレスボス島入りしたのを知ると、彼はキオス船1隻を加えて救援に赴いた。しかし、エレソスに来たところでレスボスの主邑ミュティレネが落ちたのを知ると、アステュオコスはレスボスのエレソスをアテナイとの同盟から離反させ、重装歩兵を船から降ろして陸路でアンティッサとメテュムネに送り、自らも海路でメテュムネへと向かった。しかし、レスボスでの戦況が不利になり始めると彼は部隊をまとめてキオスに戻った。スパルタ人テリメネスとシュラクサイ人ヘルモクラテスの率いる連合艦隊55隻のイアソス湾への到着、アケメネス朝ペルシアとスパルタとの同盟の締結を知ると、アステュオコスは対アテナイ作戦を再開した。アステュオコスは20隻を率いてプテレオンを攻撃したが、攻略に失敗した。このため、クラゾメナイへと向かい、ペルシアのイオニア長官タモスと共にアテナイとの同盟からの離反を説く。しかし、説得に失敗したため、攻撃を仕掛けて占領した。レスボスからアテナイとの同盟からの離反を伝える使節がやってくると、アステュオコスはキオスに戻り、キオス人とスパルタの将軍ペダリトス(エリュトライから500人の重装歩兵と5隻の船を伴ってやってきた)にレスボスへの援軍を提案したが、反対にあって断念した。その後、アステュオコスはコリントス船5隻、メガラ船6隻、ヘルミオネ船1隻、ラコニア船(数は不明)を率いてミレトスへ、続いてイオニアのエリュトライ領コテュスに入港した。しかし、キオスでのエリュトライ人捕虜の反乱の計画を知らされると、アステュオコスは取って返し、容疑者の取調べをした後、再びミレトスへと向かい、冬に到着した。同年にスパルタ(代表はテリメネス)とペルシア(代表はティッサフェルネス)との軍事同盟が更新され、テリメネスはアステュオコスに手持ちの艦隊を引き渡して帰国した。その一方でアステュオコスを取り巻く環境は悪化していた。キオス人はスパル
