アシュラフ・トゥーマーンバーイ(? - 1517年4月15日)は、ブルジー・マムルーク朝の第25代、最後の君主(在位:1516年 - 1517年)。1516年に先代のアシュラフ・カーンスーフ・ガウリーがオスマン朝のスルタンであるセリム1世とシリア北部で戦い(マルジュ・ダービクの戦い)、敗北し不慮の死を遂げたため跡を継いだ。しかしオスマン朝軍の進軍はとどまらず、アレッポとダマスカスは抵抗無く平定された。トゥーマーンバーイはカイロに兵力を集中させて抵抗の意を示すも、1516年末にカイロ近郊で行なわれたオスマン軍との戦いで大敗。1517年1月にオスマン軍がカイロ......
アシュラフ・トゥーマーンバーイ(? - 1517年4月15日)は、ブルジー・マムルーク朝の第25代、最後の君主(在位:1516年 - 1517年)。1516年に先代のアシュラフ・カーンスーフ・ガウリーがオスマン朝のスルタンであるセリム1世とシリア北部で戦い(マルジュ・ダービクの戦い)、敗北し不慮の死を遂げたため跡を継いだ。しかしオスマン朝軍の進軍はとどまらず、アレッポとダマスカス......