鷲尾 義久(わしお よしひさ、生年不詳 - 文治5年閏4月30日(1189年5月17日)?)は、平安時代末期の武士。源義経の郎党。通称は三郎。諱は経春とも伝わる。『平家物語』の「老馬」の段に登場する(覚一本)。元は播磨山中にて猟師をしていたという。寿永3年(1184年)、三草山の戦いで平資盛軍を破った義経軍は、山中を更に進軍していくにあたって、土地勘のある者としてこの義久を召し出し、道案内役として使ったという。義経一行が鵯越にたどりつき、一ノ谷の戦いにおいて大勝を収めることができたのは、彼のこの働きによるところが大きく、「義久」という名はその褒賞として義経......
鷲尾 義久(わしお よしひさ、生年不詳 - 文治5年閏4月30日(1189年5月17日)?)は、平安時代末期の武士。源義経の郎党。通称は三郎。諱は経春とも伝わる。『平家物語』の「老馬」の段に登場する(覚一本)。元は播磨山中にて猟師をしていたという。寿永3年(1184年)、三草山の戦いで平資盛軍を破った義経軍は、山中を更に進軍していくにあたって、土地勘のある者としてこの義久を召し出......