鄭 吉(てい きつ、? - 紀元前48年)は、前漢の人。会稽の出身。兵卒として従軍して何度か西域に出征し、そこで郎となった。力と意思が強く、外国の事に詳しかった。宣帝の地節2年(紀元前68年)、漢は鄭吉を侍郎とし、渠黎に派遣して刑を免除した罪人に耕作させて兵糧を集め、車師国を攻めようとした。収穫が終わると鄭吉は周辺の国々から兵を徴発し、自分が率いる屯田兵1500人と共に車師を攻撃した。車師は匈奴に援軍を要請したが、匈奴の援軍も鄭吉が迎撃に出ると前進せず、車師王は烏孫に逃亡した。漢は鄭吉を衛司馬とし、「護鄯善以西南道」(西域南道の監督役)とした。神爵年間に匈......
鄭 吉(てい きつ、? - 紀元前48年)は、前漢の人。会稽の出身。兵卒として従軍して何度か西域に出征し、そこで郎となった。力と意思が強く、外国の事に詳しかった。宣帝の地節2年(紀元前68年)、漢は鄭吉を侍郎とし、渠黎に派遣して刑を免除した罪人に耕作させて兵糧を集め、車師国を攻めようとした。収穫が終わると鄭吉は周辺の国々から兵を徴発し、自分が率いる屯田兵1500人と共に車師を攻撃......