辺見 十郎太(へんみ じゅうろうた、嘉永2年11月7日(1849年12月21日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。名は昌邦。戊辰戦争のとき、薩摩藩二番小隊長として東北戦争で活躍。維新後は鹿児島常備隊小隊長、近衛陸軍大尉となる。明治6年(1873年)に皇居が焼けたとき、新宿の妓楼で遊んでいて救援に間に合わず、同僚から糾問され、切腹を迫られたが、西郷に助けられ、以後心を入れ替えたという。明治六年政変で西郷隆盛が辞職して鹿児島へ下野すると、自分も辞職して西郷に従った。私学校でも力を尽くし、宮之城郷の区長も務めた。明治......
辺見 十郎太(へんみ じゅうろうた、嘉永2年11月7日(1849年12月21日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。名は昌邦。戊辰戦争のとき、薩摩藩二番小隊長として東北戦争で活躍。維新後は鹿児島常備隊小隊長、近衛陸軍大尉となる。明治6年(1873年)に皇居が焼けたとき、新宿の妓楼で遊んでいて救援に間に合わず、同僚から糾問され、切腹を迫ら......