足利 義種(あしかが よしかず/よしたね、天正2年9月2日(1574年9月16日) - 寛永7年4月13日(1630年5月24日))は、足利義助の子。平島公方3代。号は玄徳院。「平島記」を著わしたのは義種。。平島公方家側の史料では、大坂の陣の折り、大坂方としての参陣要請があったが、断っているという。慶長13年に七浦山を所領としてもらっている。ここで切り出した木材や加工した炭など産物は平嶋公方家の重要な資金源の一つであった。墓所は平島館にあったというが、現存していない。
足利 義種(あしかが よしかず/よしたね、天正2年9月2日(1574年9月16日) - 寛永7年4月13日(1630年5月24日))は、足利義助の子。平島公方3代。号は玄徳院。「平島記」を著わしたのは義種。。平島公方家側の史料では、大坂の陣の折り、大坂方としての参陣要請があったが、断っているという。慶長13年に七浦山を所領としてもらっている。ここで切り出した木材や加工した炭など産......