賈 魯(か ろ、1297年 - 1353年)は、中国・元王朝に仕えた漢人官僚。字は友恒。河東・高平(現在の山西省高平市)の人。黄河の改修工事を行ったとで知られている。明経をもって2度官に挙げられて泰定年間に東平路儒学教授に任じられ、以後地方官や戸部主事を歴任する。至正年間にトクトが丞相となると、宋史の編纂に携わる。これが縁でトクトの信任を受けると、貧民救済策を纏めた。至正4年(1344年)に黄河の大氾濫が起きると、大都周辺の治水を預かる行都水監に任じられる。彼は被害地域を視察して、大規模な治水工事の必要性を訴えて2度にわたってその計画図を提出した。だが、ト......
賈 魯(か ろ、1297年 - 1353年)は、中国・元王朝に仕えた漢人官僚。字は友恒。河東・高平(現在の山西省高平市)の人。黄河の改修工事を行ったとで知られている。明経をもって2度官に挙げられて泰定年間に東平路儒学教授に任じられ、以後地方官や戸部主事を歴任する。至正年間にトクトが丞相となると、宋史の編纂に携わる。これが縁でトクトの信任を受けると、貧民救済策を纏めた。至正4年(1......