貞松院(ていしょういん、天正19年(1591年) - 寛文4年6月19日(1664年8月10日))は、出石藩主・小出吉英の正室。保科正直の娘。母は多劫姫。名はヨウ。母方の伯父である徳川家康の養女となり、小出吉英に嫁いだ。吉英との間に五男五女を儲けた。寛文4年(1644年)、74歳で死去し、天徳寺に葬られた。
貞松院(ていしょういん、天正19年(1591年) - 寛文4年6月19日(1664年8月10日))は、出石藩主・小出吉英の正室。保科正直の娘。母は多劫姫。名はヨウ。母方の伯父である徳川家康の養女となり、小出吉英に嫁いだ。吉英との間に五男五女を儲けた。寛文4年(1644年)、74歳で死去し、天徳寺に葬られた。