董其昌(とう きしょう、嘉靖34年1月19日(1555年2月10日) - 崇禎9年11月11日(1636年12月8日))は、中国明代末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残した。清朝の康煕帝が董の書を敬慕したことは有名である。その影響で清朝において正統の書とされた。また独自の画論は、文人画(南宗画)の根拠を示しその隆盛の契機をつくった。董が後世へ及ぼした影響は大きく、芸林百世の師と尊ばれた。字を玄宰。号は思白・思翁・香光と称し、斎室の戯鴻堂・玄賞斎・画禅室も号として用いている。禅に帰依していたため香光居士ともいった。華亭県(上海市松江区)の人。
董其昌(とう きしょう、嘉靖34年1月19日(1555年2月10日) - 崇禎9年11月11日(1636年12月8日))は、中国明代末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残した。清朝の康煕帝が董の書を敬慕したことは有名である。その影響で清朝において正統の書とされた。また独自の画論は、文人画(南宗画)の根拠を示しその隆盛の契機をつくった。董が後世へ及ぼした影響は大きく、芸......