相良 長泰(さがら ながやす、天文5年(1536年) - 寛永6年5月25日(1629年7月15日))は戦国時代から江戸時代の薩摩国島津氏家臣。元の名は稲留長辰。通称は新助、新右衛門尉。入道名は閑栖斎。官位は日向守。父は稲留伝翁。妻は伊地知重康の娘。子は相良頼豊、相良新吉、娘(島津忠恒側室)。祖は肥後国相良氏で、相良氏の祖である相良長頼の五男・稲留頼貞の子孫である稲留善助が、島津忠国に仕えて以降、代々島津家臣となっていた。長泰の代まで稲留姓であったが、島津義久の使者として相良義陽の元へ赴いた際、義陽の許可を得て以後、相良姓を名乗る様になった。天正10年(1......
相良 長泰(さがら ながやす、天文5年(1536年) - 寛永6年5月25日(1629年7月15日))は戦国時代から江戸時代の薩摩国島津氏家臣。元の名は稲留長辰。通称は新助、新右衛門尉。入道名は閑栖斎。官位は日向守。父は稲留伝翁。妻は伊地知重康の娘。子は相良頼豊、相良新吉、娘(島津忠恒側室)。祖は肥後国相良氏で、相良氏の祖である相良長頼の五男・稲留頼貞の子孫である稲留善助が、島津......