田北 鑑生(たきた あきなり)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。父親員は大友氏の加判衆(家老)であり、子鑑生は初め大友義鑑の側近として仕える。義鑑からは偏諱を賜って鑑生と名乗る。大永7年(1527年)、父に従って栂牟礼城主佐伯惟治の討伐に参加し、軍功を挙げた。これが鑑生の初陣とされる。天文3年(1534年)の大内氏との勢場ヶ原の戦いでは、大友軍は当初劣勢だったが、1,000人余の別働隊を率いていた鑑生は、敗走する本隊を収容すると、大内軍に突撃して杉重信を討ち取り、さらに陶興房に傷を負わせるなどして勝利に貢献した。この戦いの後、大内氏との和睦を願って神社を建......
田北 鑑生(たきた あきなり)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。父親員は大友氏の加判衆(家老)であり、子鑑生は初め大友義鑑の側近として仕える。義鑑からは偏諱を賜って鑑生と名乗る。大永7年(1527年)、父に従って栂牟礼城主佐伯惟治の討伐に参加し、軍功を挙げた。これが鑑生の初陣とされる。天文3年(1534年)の大内氏との勢場ヶ原の戦いでは、大友軍は当初劣勢だったが、1,000人余の......