生口 景守(いくち かげもり、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。河野氏、小早川氏に仕え後に小早川水軍の一翼を担った水軍衆。通称は孫三郎。受領名は刑部丞。小早川隆景より偏諱を賜り景守と名乗る。備後国茶臼山城もしくは俵崎城(出城とも)主。生口氏は、小早川宣平の子・生口惟平を祖とする沼田小早川氏の庶流で生口島を本領とする。天文24年(1555年)、厳島の戦いに際し、村上武吉・村上通康・村上吉充らと共に、毛利元就(隆景の実父)からの加勢依頼の詮議の席に参加した。永禄4年(1561年)、毛利氏と大友氏が豊前国蓑島周辺で戦った蓑島合戦に参陣、村上......
生口 景守(いくち かげもり、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。河野氏、小早川氏に仕え後に小早川水軍の一翼を担った水軍衆。通称は孫三郎。受領名は刑部丞。小早川隆景より偏諱を賜り景守と名乗る。備後国茶臼山城もしくは俵崎城(出城とも)主。生口氏は、小早川宣平の子・生口惟平を祖とする沼田小早川氏の庶流で生口島を本領とする。天文24年(1555年)、厳島の戦いに際し......