桓 焉(かん えん、? - 143年)は後漢の官僚で今文経の学者。字は叔元。沛国龍亢の人で、太常桓栄の孫、太常桓郁の子にあたる。後漢ではいわゆる「累世帝師」の家柄で著名である。家学は今文経で後漢では皇帝家の学でもあった「歐陽尚書」を教授する宗家的存在の家である。若くして「父任」いわゆる任子によって郎中となった。安帝即位の年である永初元年(107年)、安帝の侍講(学門の教師)となった。後に侍中・歩兵校尉に遷った。永寧元年(120年)に劉保(後の順帝)が立太子された際、太子少傅となった。一か月もたたないうちに太子太傅に遷ったが、後に母の死にともない辞職を願い出......
桓 焉(かん えん、? - 143年)は後漢の官僚で今文経の学者。字は叔元。沛国龍亢の人で、太常桓栄の孫、太常桓郁の子にあたる。後漢ではいわゆる「累世帝師」の家柄で著名である。家学は今文経で後漢では皇帝家の学でもあった「歐陽尚書」を教授する宗家的存在の家である。若くして「父任」いわゆる任子によって郎中となった。安帝即位の年である永初元年(107年)、安帝の侍講(学門の教師)となっ......