松平 清照(まつだいら きよてる、承応元年(1652年) - 貞享3年5月27日(1686年7月17日))は、陸奥国白河藩主などを務めた松平忠弘の長男。子は松平忠雅(長男)、娘(松平直常正室)、娘(牧野成春正室)、娘(大沢基隆正室)。通称、主税。奥平松平家の嫡男として生まれたが、病弱を理由に廃嫡となる。以後、将軍家披露もされず、正室も娶らないまま過ごすこととなった。この家に生まれた男子は家祖である祖父・忠明以来、「清」の通字を名乗りに用いていた(忠明は初名を清匡といった)。さらにその中で、奥平松平家の家督を継ぐものだけが「忠」の字を冠することとなっていた。......
松平 清照(まつだいら きよてる、承応元年(1652年) - 貞享3年5月27日(1686年7月17日))は、陸奥国白河藩主などを務めた松平忠弘の長男。子は松平忠雅(長男)、娘(松平直常正室)、娘(牧野成春正室)、娘(大沢基隆正室)。通称、主税。奥平松平家の嫡男として生まれたが、病弱を理由に廃嫡となる。以後、将軍家披露もされず、正室も娶らないまま過ごすこととなった。この家に生まれ......