松平 忠敏(まつだいら ただとし、寛文12年(1672年) - 元禄8年12月7日(1696年1月11日))は、信濃飯山藩の世嗣。飯山藩世嗣で廃嫡された松平忠継の長男。母は本多康将の娘。正室は宗義真の娘。通称、内膳。貞享2年(1685年)徳川綱吉に拝謁した。元禄7年(1694年)に父・忠継が廃嫡されると奥詰となり、翌元禄8年(1695年)には祖父・松平忠倶の嫡子となるが間もなく早世した。代わって、弟の忠喬が嫡子となった。たたとしCategory:江戸時代の大名の嫡男Category:飯山藩の人物Category:1672年生Category:1696年没
松平 忠敏(まつだいら ただとし、寛文12年(1672年) - 元禄8年12月7日(1696年1月11日))は、信濃飯山藩の世嗣。飯山藩世嗣で廃嫡された松平忠継の長男。母は本多康将の娘。正室は宗義真の娘。通称、内膳。貞享2年(1685年)徳川綱吉に拝謁した。元禄7年(1694年)に父・忠継が廃嫡されると奥詰となり、翌元禄8年(1695年)には祖父・松平忠倶の嫡子となるが間もなく早......