木下 俊胤(きのした としたね、延享4年(1747年)- 安永5年5月20日(1776年7月5日))は、豊後日出藩の第10代藩主。下野宇都宮藩主・戸田忠余の五男。母は側室小川氏。正室は木下利忠の娘(第9代藩主・木下俊泰の養女)・於久。子に木下俊懋(長男)、娘(堀直方正室)、娘(横山知雄正室)、娘(高井常房室)、娘(山崎義徳正室)、娘(溝口直清正室)、娘(小笠原信成正室)。官位は従五位下、左衛門佐。明和4年(1767年)に先代藩主・俊泰の養嗣子となり、翌年に俊泰の死去により跡を継いだ。明和9年(1772年)2月、江戸で大火が起こったとき、火消し役としての任務......
木下 俊胤(きのした としたね、延享4年(1747年)- 安永5年5月20日(1776年7月5日))は、豊後日出藩の第10代藩主。下野宇都宮藩主・戸田忠余の五男。母は側室小川氏。正室は木下利忠の娘(第9代藩主・木下俊泰の養女)・於久。子に木下俊懋(長男)、娘(堀直方正室)、娘(横山知雄正室)、娘(高井常房室)、娘(山崎義徳正室)、娘(溝口直清正室)、娘(小笠原信成正室)。官位は従......