初代 市川右團次(しょだい いちかわ うだんじ、天保14年7月16日(1843年8月11日) - 大正5年(1916年)3月18日)は、幕末から大正初期にかけて活躍した上方の歌舞伎役者。屋号ははじめ鶴屋、のち髙嶋屋。俳名に家升・采玉・米玉、雅号に夜霜庵。隠居名の市川 斎入(いちかわ さいにゅう)としても知られる。本名は市川 福太郎(いちかわ ふくたろう)。
初代 市川右團次(しょだい いちかわ うだんじ、天保14年7月16日(1843年8月11日) - 大正5年(1916年)3月18日)は、幕末から大正初期にかけて活躍した上方の歌舞伎役者。屋号ははじめ鶴屋、のち髙嶋屋。俳名に家升・采玉・米玉、雅号に夜霜庵。隠居名の市川 斎入(いちかわ さいにゅう)としても知られる。本名は市川 福太郎(いちかわ ふくたろう)。