吉田 兼直(よしだ かねなお、延宝7年(1679年) - 元文4年1月29日(1739年3月8日))は、江戸時代中期の武士。赤穂浪士の1人吉田兼亮の庶子。幼名は伝内。通称は九郎大夫。僧名は恵学。吉田兼亮の四男として生まれる。母は熊井新八の娘。父や兄の吉田兼貞と異なり、吉良邸討ち入りに加わらなかった。それは、年齢は20を超えていたが庶子であり、部屋住ですらないので浅野家臣の資格がなかったためである。ところが父たちの切腹後の元禄16年(1703年)4月、一族連座して伊豆大島へ流された。この遠島を知った姉の嫁ぎ先の主家本多家の当主・本多忠国から、江戸幕府に許可さ......
吉田 兼直(よしだ かねなお、延宝7年(1679年) - 元文4年1月29日(1739年3月8日))は、江戸時代中期の武士。赤穂浪士の1人吉田兼亮の庶子。幼名は伝内。通称は九郎大夫。僧名は恵学。吉田兼亮の四男として生まれる。母は熊井新八の娘。父や兄の吉田兼貞と異なり、吉良邸討ち入りに加わらなかった。それは、年齢は20を超えていたが庶子であり、部屋住ですらないので浅野家臣の資格がな......