原 胤清(はら たねきよ、生年不詳 - 弘治2年2月12日(1556年3月23日))は、戦国時代の武将。千葉氏の家臣。官途名は式部大夫(少輔)。原胤隆の嫡男。下総国小弓(生実)城城主。子に原胤貞がいる。下総原氏宗家の嫡男であるが、胤清が生まれた当時には胤隆は既に弟の朝胤を養子に迎えて家督を譲っていたとされ、このため当初は一族の養子に出されていたとも言われている。だが、永正15年(1518年)、足利義明が小弓城を落とした際に城主の原基胤(朝胤の嫡子)が戦死、朝胤系が断絶したためにその後を継いだ。だが、義明の追及によって高城胤吉の根木内城(あるいは小金城)に逃......
原 胤清(はら たねきよ、生年不詳 - 弘治2年2月12日(1556年3月23日))は、戦国時代の武将。千葉氏の家臣。官途名は式部大夫(少輔)。原胤隆の嫡男。下総国小弓(生実)城城主。子に原胤貞がいる。下総原氏宗家の嫡男であるが、胤清が生まれた当時には胤隆は既に弟の朝胤を養子に迎えて家督を譲っていたとされ、このため当初は一族の養子に出されていたとも言われている。だが、永正15年(......