仁科 盛国(にしな もりくに、生没年不詳)は、戦国時代の武将。別名に盛胤。官位は正五位下、弾正少弼。父は仁科盛明、弟に丸山盛慶。子に盛能、青柳清長、小岩盛親、飯森盛春、渋田見盛家がいる。信濃国安曇郡森城主。永和2年(1376年)の仁科神明宮棟札に盛国の名と法名の盛誉が記録されている。仁科氏は信濃国安曇郡の国人。戦国時代に入ると、信濃守護・小笠原氏との抗争を経て被官化した。盛国の代には子らを安曇郡一帯に分家させて勢力を保ち、小笠原氏と共に武田晴信と戦ったが、いずれも降伏ないし自害している。
仁科 盛国(にしな もりくに、生没年不詳)は、戦国時代の武将。別名に盛胤。官位は正五位下、弾正少弼。父は仁科盛明、弟に丸山盛慶。子に盛能、青柳清長、小岩盛親、飯森盛春、渋田見盛家がいる。信濃国安曇郡森城主。永和2年(1376年)の仁科神明宮棟札に盛国の名と法名の盛誉が記録されている。仁科氏は信濃国安曇郡の国人。戦国時代に入ると、信濃守護・小笠原氏との抗争を経て被官化した。盛国の代......