丙 吉(へい きつ、? - 紀元前55年)は、前漢の政治家。字は少卿。宣帝擁立の功労者として丞相の地位に昇った。魯(現在の山東省曲阜市)の出身。法律を学んで牢獄の役人となり、後に出世して首都長安で廷尉右監となった。後に、官を失い故郷に帰り州の従事をしていた。巫蠱の乱の際に治獄使者として取調べを行なったが、その際首謀者と目された戻太子の孫・病已(後の宣帝)も逮捕され、丙吉が取り調べることとなった。丙吉は病已がまだ生まれたばかりの赤ん坊であることを憐れみ、女性刑徒を乳母とし、私費で養育した。武帝が長安で獄にある者全員を殺そうとした際には、彼は自分の担当する獄の......
丙 吉(へい きつ、? - 紀元前55年)は、前漢の政治家。字は少卿。宣帝擁立の功労者として丞相の地位に昇った。魯(現在の山東省曲阜市)の出身。法律を学んで牢獄の役人となり、後に出世して首都長安で廷尉右監となった。後に、官を失い故郷に帰り州の従事をしていた。巫蠱の乱の際に治獄使者として取調べを行なったが、その際首謀者と目された戻太子の孫・病已(後の宣帝)も逮捕され、丙吉が取り調べ......