世尊寺 行尹(せそんじ ゆきただ、弘安9年(1286年) - 正平5年/貞和6年1月14日(1350年2月21日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての公卿、能書家。従二位・経尹の第4子で、世尊寺家第12代当主となり、官位は従三位・宮内卿に至る。後世、藤原行成・世尊寺行能とともに世尊寺流の三筆と称された。
世尊寺 行尹(せそんじ ゆきただ、弘安9年(1286年) - 正平5年/貞和6年1月14日(1350年2月21日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての公卿、能書家。従二位・経尹の第4子で、世尊寺家第12代当主となり、官位は従三位・宮内卿に至る。後世、藤原行成・世尊寺行能とともに世尊寺流の三筆と称された。