上杉 憲藤(うえすぎ のりふじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての武将。犬懸上杉家の始祖である。父は上杉憲房。山内上杉家の祖上杉憲顕の弟で足利尊氏・直義の母方の従弟にあたる。足利尊氏、その子千寿王に仕えた。暦応元年/延元3年(1338年)2月には尊氏に従って上洛し、摂津で南朝方の北畠顕家と戦って奮戦する。しかし3月15日、摂津渡辺河の戦いで奮戦したものの戦死した。享年21。なお、『鎌倉大日記』には建武4年/延元2年(1337年)に関東執事に任じられたとするが、それを裏付ける根拠が無く、発給文書などからみても、初代執事の斯波家長の没後は上杉憲顕が関......
上杉 憲藤(うえすぎ のりふじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期にかけての武将。犬懸上杉家の始祖である。父は上杉憲房。山内上杉家の祖上杉憲顕の弟で足利尊氏・直義の母方の従弟にあたる。足利尊氏、その子千寿王に仕えた。暦応元年/延元3年(1338年)2月には尊氏に従って上洛し、摂津で南朝方の北畠顕家と戦って奮戦する。しかし3月15日、摂津渡辺河の戦いで奮戦したものの戦死した。享年2......