上杉 憲英(うえすぎ のりふさ、生年不詳 - 応永11年8月2日(1404年9月6日))は室町時代の人物。上杉憲顕の6男で、憲将、憲賢、能憲、憲春、憲方の弟、憲栄の兄。康応年間、現在の深谷市近郊に庁鼻和城を建てて庁鼻和(こばなわ)上杉家を名乗る。後に子孫の上杉房憲が深谷城を立てて深谷上杉家を名乗る。戦国時代中期には北条氏に降り、氏憲の代には所領を失う。
上杉 憲英(うえすぎ のりふさ、生年不詳 - 応永11年8月2日(1404年9月6日))は室町時代の人物。上杉憲顕の6男で、憲将、憲賢、能憲、憲春、憲方の弟、憲栄の兄。康応年間、現在の深谷市近郊に庁鼻和城を建てて庁鼻和(こばなわ)上杉家を名乗る。後に子孫の上杉房憲が深谷城を立てて深谷上杉家を名乗る。戦国時代中期には北条氏に降り、氏憲の代には所領を失う。